いよいよ2026年夏に『トイ・ストーリー5』が公開予定!
私は、トイ・ストーリー1からこのシリーズを観続けてきました。
アンディと一緒に成長し、気づけば物語の中に、自分の子どもの姿を重ねるようになり、『トイ・ストーリー3』で描かれた別れのシーンは、今でも忘れられません。
2026年に公開される『トイ・ストーリー5』は、「おもちゃ vs テクノロジー」という、時代を映したテーマが描かれると言われています。
その問いは、とてもトイ・ストーリーらしく、今だからこそ向き合うべきものだとも感じています。
それでも私は、この作品にもうひとつだけ、静かな願いを抱いています。
これはあらすじ考察でも、伏線回収の話でもありません。
長年トイ・ストーリーを愛してきた、一人のファンとしての想いを書き連ねます。
よろしければ、最後までお付き合いください。
トイ・ストーリー5で描かれるテーマは「おもちゃ vs テクノロジー」

『トイ・ストーリー5』では、シリーズ初となる「おもちゃとテクノロジーの対立」が、物語の大きなテーマとして描かれます。
公式が示している「Toy Meets Tech」という問い
公開された映像や制作陣のコメントから、『トイ・ストーリー5』のテーマのひとつが「Toy Meets Tech(おもちゃとテクノロジーの出会い)」であることが明らかになっています。
子ども部屋に届いた“箱”の中身は、最新のおもちゃではなくタブレット。
「おもちゃの時代は…もう終わり?」というコピーは、作中のおもちゃたちだけでなく、観ている私たちにも突きつけられた問いのように感じられます。
今の子どもたちは、遊びの中に当たり前のようにテクノロジーが存在する時代を生きています。
『トイ・ストーリー5』は、その現実から目を背けず、「おもちゃの役割とは何なのか」を真正面から描こうとしているのでしょう。
それでもこのテーマは、とてもトイ・ストーリーらしい
一見すると新しいテーマに思える「おもちゃ vs テクノロジー」ですが、実はその構図は、シリーズ第1作から一貫して描かれてきました。
『トイ・ストーリー1』でウッディたちが恐れていたのも、最新式のおもちゃとして現れたバズ・ライトイヤーでしたよね。
“新しい存在”に居場所を奪われる不安は、形を変えながらずっと描かれてきたテーマなんですね。
時代が進み、ライバルが「おもちゃ」から「テクノロジー」へ変わっただけ。
そう考えると、『トイ・ストーリー5』のテーマは、むしろとてもトイ・ストーリーらしい延長線上にあると言えるでしょう。

このテーマには、私自身も強く共感しています。
それでもなお、物語の奥に、もうひとつ描かれてほしいものがあるのです。
それが――「アンディ」という存在です。
それでも私が「アンディの子供」を見たい理由


トイ・ストーリー5のテーマを理解したうえで、それでも私が願ってしまうのが「アンディの子供」という存在です。
アンディは“おもちゃに育てられた子供”だった
アンディは、ただの登場人物ではありません。
ウッディやバズと過ごした時間そのものが、彼の成長の一部でした。
おもちゃは、遊び相手であり、想像力の入り口であり、時には友達で、時には自分自身を映す存在でもあったはずです。
だからこそアンディは、おもちゃを「いらなくなった物」ではなく、大切に誰かへ託すという選択をしました。
その姿は、おもちゃが子どもにとって何だったのかを、何より雄弁に語っていたように思います。
トイ・ストーリー5でアンディの子供が登場する意味
もしトイ・ストーリー5で、アンディの子供が登場したとしたら。
それは単なるファンサービスではありません。
かつておもちゃに育てられたアンディが、今度は“親”として、子どもを見守る側に立つ。
その姿は、おもちゃの役割が世代を超えて受け継がれていくことの象徴になります。
おもちゃは、子どもが遊ぶための物であると同時に、大人になったときに「自分がどんな子どもだったか」を思い出させてくれる存在です。
アンディの子供が、おもちゃと出会う。
その一瞬が描かれるだけで、トイ・ストーリーという物語は、未来へ続く円を静かに描くことができるのではないでしょうか。



こうした願いを抱いてしまうのは、トイ・ストーリー3で描かれた“別れ”が、あまりにも美しかったからです。
次は、その理由について触れていきますね。
トイ・ストーリー3が“完璧な別れ”だったからこそ


アンディの子供を願ってしまう背景には、『トイ・ストーリー3』で描かれた別れの美しさがあります。
トイ・ストーリー3で描かれた「おもちゃの役目の終わり」
『トイ・ストーリー3』は、成長と手放しを真正面から描いた作品でした。
アンディは大人になり、おもちゃと過ごした時間に区切りをつける選択をします。
それは、冷たい別れではありません。
ウッディたちが自分にとってどれほど大切な存在だったかを、誰よりも理解したうえでの決断でした。
おもちゃは、ずっと子どものそばにいることはできない。



でも、その役目を終える瞬間まで、全力で子どもを支える存在であることが、丁寧に描かれていましたよね。
だから「ここで終わるべきだった」と言われたのもわかる
『トイ・ストーリー3』のラストシーンは、シリーズの完結編としてあまりにも完成されていました。
だからこそ、
「これ以上続編はいらない」
「ここで終わるべきだった」
そう感じた人が多かったのも、自然なことだと思います。
おもちゃと子どもの物語に、これ以上何を足せばいいのか。
それほどまでに、3は“完璧な別れ”だったのだと思います。



その完成度の高さがあったからこそ、続いて描かれた『トイ・ストーリー4』に対して、さまざまな受け止め方が生まれましたね。
私がトイ・ストーリー4を受け入れられなかった理由


『トイ・ストーリー4』については、今も賛否が分かれています。実は私は、受け入れられなかった側なんです。
トイ・ストーリー4が好きな人がいることも理解している
まず最初に伝えておきたいのは、『トイ・ストーリー4』を大切な作品だと感じている人がいることも、私は理解しているということです。
ウッディが自分の生き方を見つめ直し、「子どものそばにいること」だけが全てではないと描かれた物語は、ある意味とても誠実で、大人向けの選択だったのだと思います。
だからこれは、作品そのものを否定したい気持ちではありません。
あくまで、私自身の受け取り方の話です。
それでも私にとっては、3で物語は終わっていた
それでも私にとって、トイ・ストーリーという物語は『3』で、すでにきれいに終わっていました。
アンディが成長し、おもちゃたちが役目を終え、次の子どもへとバトンが渡される。
あの別れは、少し寂しくて、でも前向きで、「手放すこと」そのものが物語の答えだったように感じたのです。
だからこそ、その先を描く『4』の物語を、自分の中にうまく収めることができませんでした。
それはきっと、トイ・ストーリー3が、あまりにも美しい終わり方だったからだと思います。



それでも『トイ・ストーリー5』が描かれる今、私は過去をなぞる続編ではなく、静かに“つながる未来”を見たいと願っています。
最後のワンシーンでいい、だからこそいい


私が『トイ・ストーリー5』に願っているのは、大きな展開でも驚きの結末でもありません。
主役じゃなくていい、セリフもいらない
アンディは、物語の中心に戻ってこなくていい。
名前を呼ばれなくても、セリフがなくても構いません。
ただ、子どもがおもちゃを手に取る、その何気ない瞬間に、少し離れた場所から見守る大人がいる。
それが、かつてウッディたちと過ごしたアンディだったなら。
それだけで、十分すぎるほどです。
アンディとその子供が描かれたら、物語は完成する
おもちゃは、子どもが遊ぶための存在です。
でも同時に、大人になったとき、おもちゃは「自分がどんな子どもだったか」を思い出させてくれる存在でもあります。
アンディが子どもを見守る立場になり、その子どもがおもちゃと出会う。
その一瞬が描かれるだけで、トイ・ストーリーは過去から未来へ、静かにつながります。
ただ、子どもがおもちゃを手に取り、それを少し離れたところから見守る大人になったアンディがいてくれたら。
その姿をまた、ウッディやバズたちが温かい目でみてくれたら。
それだけで、トイ・ストーリーは世代を超えて、本当に完結する気がするのです。



そんな姿が描かれたら、きっとまた涙がこぼれてしまうと思います。
まとめ


『トイ・ストーリー5』がどんな物語になるのか、その答えは、公開されるまで誰にもわかりません。
そして現時点では、トイ・ストーリー5にアンディの子供が登場するかどうか、公式な発表はありません。
それでも私は、このシリーズを長年観てきた一人のファンとして、たったひとつのワンシーンを願ってしまいます。
これは予想でも、正解探しでもありません。
同じようにトイ・ストーリーと一緒に大人になった人に、そっと届けばいい――そんな想いで書きました。
あなたは、『トイ・ストーリー5』に、どんな未来を見たいですか。

